国の指定文化財 社会教育課   

清水寺本坊庭園   
清水本坊庭園

清水寺本坊庭園
 きよみずでらほんぼうていえん

所在地 みやま市瀬高町本吉

国指定名勝
 昭和4年4月2日指定

 室町時代の画僧・雪舟の作と伝えられており、前方の愛宕山を借景として取り入れている。

 心字池を中心に庭石の配置・植込・池に注ぐ緩と急の滝など、自然と人工の美が見事に調和した庭園である。

 春は新緑、秋は紅葉など、四季折々の見事な風景を織り成し、特に借景の愛宕山から昇る中秋の名月は池面に映えて、見る人を幽玄の世界へと誘うようである。

女山神籠石   
女山神籠石
女山神籠石
 ぞやまこうごいし

所在地 みやま市瀬高町大草

国指定史跡
昭和28年11月14日指定
昭和52年7月14日(追加指定)

 女山神籠石の配列の形状は、古塚山を中心に1辺約70cmの立方体に加工された礫岩が、山にほぼ馬蹄状に並んでいる。

列石を横切る粥餅谷・長谷・源吾谷・産女谷には水門が設けられており、そのうち、粥餅谷と長谷が比較的水門の原形をとどめている。

女山神籠石は全長約3qに及び、山麓最北端の横尾谷より北半分についてはまだ不明である。

 築造の目的については、これまで「神域説」と「山城説」の両説の間で争われてきたが、近年の調査により七世紀頃に構築された山城遺構とする見解が強まっている。

幸若舞(こうわかまい)   
幸若舞

幸若舞
 こうわかまい

所在地 みやま市瀬高町大江(大江天満神社境内舞堂)

国指定重要無形民俗文化財
 昭和51年5月4日指定

みやま市瀬高町大江に伝わる幸若舞は、公式には「大頭流幸若舞」と言い、今日に伝存する唯一の幸若舞として、日本芸能史の上でも極めて高く評価されており、国指定重要無形民俗文化財となっています。
藩政時代(江戸時代)には毎年正月21日、柳河藩主の鎧の祝に、国家安全・武運長久を祈って、大江天満神社の神前でこの舞を演じていました。慶応2年(1866)からはその前日に繰り上げられ、現在の1月20日に奉納することが恒例になったといいます。
幸若舞は室町初期の頃、武士道鼓吹の舞曲として始まり、足利時代より信長、秀吉をはじめ、徳川幕府の初期まで幾多の武将に愛好され、また諸国大名によって奨励されたため、大いに隆盛を決めました。徳川の末期より、時代の流れ、趣味の変化、能曲、俗歌が盛んになるにつれて次第に衰え、その発祥地の福井県越前町でも後を絶ちましたが、福岡県みやま市瀬高町大江に「大江のめえ」とよばれて昔の姿をそのまま伝えています。
大頭流の舞曲は全部で42番あり平家物語、源平盛衰記、義経記、曽我物語などが題材とされています。現在まで舞われるものは日本記、浜出、扇の的、夜討曽我、安宅、八島、和泉城、高館の8曲です。平成20年より「敦盛」が復元され演じられました。
毎年1月20日に五穀豊穣を祈って大江天満神社の舞堂において奉納上演されます。

中の島公園(新舟小屋のクスノキ林)   
中ノ島公園

新舟小屋のクスノキ林
 しんふなごやのくすのきばやし

所在地 みやま市瀬高町長田字狐林

国指定天然記念物
 昭和49年6月18日指定

 当クスノキ林は、瀬高町新舟小屋地区と筑後市船小屋地区とに挟まれる矢部川の中ノ島公園にある。
 延長約920m・最大幅約130m・面積約73000uの規模内に、約900本のクスノキが繁茂し、河川堤防上のクスノキ群として稀なるものである。(平成9年調査にて、534本が確認されている。)
 元禄8年(1695)柳川藩主の治水事業の命を受けた普請役田尻惣助とその子惣馬が、北山の千間土居より船小屋地区までの堤防大改修を行ったときに、護岸のために植えられたものが最初である。

石神山古墳   
石神山古墳
石神山古墳
 せきじんざんこふん

所在地 みやま市高田町上楠田

国指定史跡
 昭和51年2月6日指定

 上楠田天満宮の北方に、標高56mに立地する全長約58.5mの前方後円墳である。(平成14年地形測量による)
 
 明治44年5月に開墾中、阿蘇溶岩を丸彫り像の武装石人1体(重要文化財)と、大・中・小3基の(県指定)舟形石棺が発見された。

 数少ない石人を伴う古墳として極めて重要であるばかりでなく、3石棺の直葬という珍しい類型を示すものとして注目される5世紀中頃の古墳である。