県の指定文化財 社会教育課   

清水寺三重塔   
  
三重塔

清水寺三重塔
 きよみずでらさんじゅうのとう

所在地 みやま市瀬高町本吉

県指定有形文化財(建造物)
 昭和30年3月5日指定

 この塔は、柳川領内住民と近国信者の寄進により、天保7年(1836)に落成したといわれている。

 屋根は本瓦葺で、高さは相輪を含めて約26.5mである。

 塔の建設は大工棟梁の宗吉兵衛が亡くなり、嫡男が後を継いで、当時五重の予定だった計画を三重に変更した。

 戦後白蟻の被害等により、昭和41年解体復元工事が行われ、その後瓦の破損により昭和59年に修復された。

 優美さと荘厳さを兼ね備えた姿は清水山の自然とよく調和して、すばらしい景観となっている。

清水寺楼門   
清水寺

清水寺楼門
 きよみずでらろうもん

所在地 みやま市瀬高町本吉

県指定有形文化財(建造物)
 昭和36年4月18日指定

 楼門は、清水寺への参道にある。

 三間一戸二重門、木造入母屋造、階上階下とも36.3u。

 屋根は、造営当時は桧皮葺だったが、現在は銅板葺になっている。

 棟木銘によれば、当門は延享2年(1745)5月に上棟され、柳川藩6代藩主・立花貞則公が願主となり、大城源右衛門を大棟梁として建立された。

 格調高い構造は、当時の柳川藩の建築技術水準を示す建築物として評価されている。

 下層は獅子前軀が両端を支える虹梁で、藩主立花家の家紋・祇園守のつく蟇股(かえるまた)を施してあり、鏡天井には飛天が描かれている。

 上楼には釈迦如来、文殊師利菩薩と、持国・広目・増長・多聞の四天王像が安置されている。

どんきゃんきゃん(廣田八幡神社神幸行事)   
どんきゃんきゃん(広田八幡神社神幸行事)
 どんきゃんきゃん(ひろたはちまんじんじゃしんこうぎょうじ)

所在地 みやま市瀬高町文広・本郷地区

県指定無形民俗文化財
 昭和54年3月6日指定

 毎年11月3日(以前は旧暦11月19日)、芳司広田八幡宮と本郷聖母宮(ほんごうしょうもぐう)間の送迎の御神幸の神事が行われる。

 この御神幸は、前方の行列は江戸時代の大名行列を模したものである。

 神輿の後方の行列は、すぐ後ろに「楽打」が付き、さらに「田楽太鼓」(胴長大太鼓1基)・鉦(かね)3面が、みゆき衆(横笛・楽太鼓)及び高張提灯を挟んで前後に2組編成される。

 そして獅子頭(しゃぐま)を戴いた少年たちが鉦や囃子声に合わせて舞いながら太鼓を打ち鳴らす。

 この太鼓・鉦などの音から、祭りの名称「どんきゃんきゃん」と名づけられた。

 かつては、この御神幸に付随して流鏑馬神事も行っていたが、今ではとりやめられている。

 この行事は中世の神事と近世の大名行列を組み合わせた独特のものである。
ドンキャンキャン

大人形と大提灯   
大人形
大提灯
大人形と大提灯
 おおにんぎょう おおちょうちん

県指定有形民俗文化財
 昭和31年1月16日指定

 上庄八坂神社では毎年7月21日に「提灯ぞろえ」という献灯の神事、24・25日には「大人形」の神事がある。

 大提灯は人物、風景等が描かれ、材料に、魚鱗・魚皮・虫の羽・貝殻・木皮等が使われている。

 大提灯の由来は、安元二年(1176)上庄に祇園宮が勧請された際に、白武三郎兵衛という貧しい武士が、雨の降る闇の夜に粗末な提灯と破れた傘をさして御神霊を迎えたという話がある。

 心から神を崇敬する彼の行為に感激して、後世彼が使用した提灯や傘にちなんで作成し奉納したのがこの大提灯の始まりといわれている。

 「大人形」は向かって右が八幡太郎義家・左は安倍宗任もしくは貞任を毎年交互に立て中央に祇園宮の被壇を設けている。

 これは夢の中で徳川家康と立花宗茂とを仲介した祇園神の功徳を表したものとされる。

 大人形の股をくぐれば、無病息災のご利益があるという。

法華経千部逆修板碑   
法華経千部逆修板碑
 ほっけきょうせんぶぎゃくしゅいたび

所在地 みやま市瀬高町本吉

県指定有形文化財(考古資料)
 昭和33年11月13日指定

 清水寺本坊境内入口より、向かって左にある。

 石質は安山岩で、高さ最高部80cm・下部幅126cm・厚さ22cmの卦(けい)線板碑である。

 中央上部に釈迦三尊を表現した梵字、中央に「奉読誦(じゅ)法華妙典一千部逆修所」と記し、これをはさんで上段に願文、下段に26名の結縁僧尼の名を刻んでいる。

 天正18年(1590)3月18日に建立。

※逆修とは

 1.存命中に自分のために仏事を修め冥福を祈る。

 2.一家縁者、眷族の物故者のためにその冥福を祈り供養をすれば、功徳の多くは供養するものに報いられるという意味があります。
法華経千部逆修板碑

貝製雲珠   
貝製雲珠
貝製雲珠
 かいせいうず

所在地 みやま市瀬高町大草

県指定有形文化財(考古資料)
 昭和34年3月21日指定

 昭和33年に女山中腹より出土した、いも貝製の馬具装飾品。

 古墳時代後期の副葬品で、大きさは径5cm、金銅製棒は長さ4cmである。

 雲珠は、馬の尻繋の交点で馬の背の部分に取り付けられていた。

 雲珠は本来、鉄製・鉄地金銅張りのものが多く、貝製のものは出土例が少ない。

 (女山)梅野家歴史資料館蔵。

金栗遺跡   
金栗遺跡
 かなぐりいせき

所在地 みやま市瀬高町小川字金栗

県指定史跡
 昭和33年4月3日指定

 小川(金栗)にある、昭和25年に発見された環濠集落跡で、遺跡年代は古墳時代後期から鎌倉時代前期。

 当遺跡からは、刳り貫いた木を枠として使用した井戸1基が完全に近い形で発見された。

 この井戸は奈良時代のもので、全国でも珍しい井戸であり、現在、国道209号線の東、田圃の中に保存されている。

 金栗遺跡の遺構は、東西40m・南北30mの環濠集落の内側に、井戸6基、炉址3ヶ所、灰のつまった竪穴4ヶ所、小形竪穴16基が出土している。

 竪穴住居跡は平安時代のもので、当時の生活の一端を窺い知ることが出来る。

 この遺跡で注目すべき点は、弥生時代の一般的な環溝が、平安時代から鎌倉時代まで存在していたということで、それを示すものとして、環溝内より、平安時代末から鎌倉時代初期頃の磁器類・土師器が出土している。
金栗遺跡

長田のイチョウ   
長田のイチョウ
長田のイチョウ
 ながたのいちょう

所在地 みやま市瀬高町長田(老松神社境内)

県指定天然記念物
 平成16年2月18日指定

 上長田の老松神社境内に、今より約400年前、社殿建立の際に、御神木として植栽されたといわれ、古くから「いっちょうの木」の愛称で呼ばれている。

 根元は一本で、幹は7本に分かれ、現在も樹勢は旺盛である。

 指定時の測量では樹高27.3m・根元周囲長11.6m・最大幹の周囲長5.0m・枝張り東西24.0m・南北28.5mを測り、

 特に根元周囲長は現在、福岡県内のイチョウの中でも大きいといわれている。

矩手水門   
矩手水門
(旧柳河藩干拓遺跡)
 かねんてすいもん
  (きゅうやながわはんかんたくいせき)

所在地 みやま市高田町黒崎

県指定史跡
 平成20年3月31日指定


 有明沿岸は江戸時代には大規模な柳河藩営による干拓事業が行われました。矩手水門は近世の壮大な干拓遺跡の一つである。
 
 当初の水門はこの樋門は敷高は高過ぎ、幅も不足しており排水不良に陥ることが多かった。

 そこで、明治31年4月より改修をすすめ大金と人力をつぎ込んで、明治32年(1988)8月に完成した。この改修により樋門は敷高0.83m、幅2m、高さ3mの暗渠3門になった。吐口には主径間4.6m、厚さ3m全半円の眼鏡橋(苦楽橋という)がある。

 このような様子は「水門新築碑」に当時の状況と新技術の採用を記している。

 現在は当時の樋門は無いが、残るレンガ積アーチ橋は吐口の両袖壁が倒伏するのを防ぐためで、水に映る赤煉瓦が美しい構造物である。
矩手水門

宝満神社奉納能楽   
宝満神社奉納能楽(新開能)
 ほうまんじんじゃほうのうのうがく(しんがいのう)

所在地 みやま市高田町北新開(宝満神社境内)

県指定無形民俗文化財
 昭和51年4月24日指定

享保元年(1716年)、当時の柳川藩主立花鑑任公祈願成就のため、宝満神社に「能楽」を奉納したのが始まりと言われる。
現在の能楽師ではなく地元の人が奉納するようになったのは、明治以降宝満神社の氏子の自主運営により演能されようになった。
面や衣裳は柳川二代藩主の夫人が奥州伊達家から輿入れしたものを譲りうけたものもあると言われる。
毎年10月17日の祭礼には、昼ごろから境内の能舞台で夜中まで奉納される。
(平成30年から開催日が変わり、10月第3土曜日に開催されます。)
宝満神社奉納能楽

新開村旧てい記碑   
新開村旧てい記碑
(旧柳河藩干拓遺跡)
 しんがいむらきゅうていきひ
  (きゅうやながわはんかんたくいせき)

 所在地 みやま市高田町黒崎

 平成20年3月31日指定

 黒崎堤防とその築造の功績をたたえ、潮止の地点である立石に天保6年(1835)
に建立された「新開村旧てい記碑」は(昭和30年3月5日指定)県指定史跡であった
が有明沿岸道路建設に伴い、県指定史跡「旧柳河藩干拓遺跡」(平成16年3月5日指定)
と統合された

 碑文には「延宝〜正徳(17世紀末から18世紀初)藩は新開村海浜に堤長1里の築石堤を完成。

 その後、石堤の外に干拓を進め、土堤を築くが風涛のため崩壊。

 文政8年〜天保5年(1825〜1834)石堤の石材を移して、土堤の補修工事を行ない新堤完成となった。

 ここに旧堤の功を顕彰する」とある。 碑文の題字は林大学頭、撰文は佐藤一斎、筆者は関研で、当時としては一流の文学者によって成り、根武川石の立派な石碑である。
新開村旧隄記碑

大賀宗白寄進大般若経   
大賀宗白寄進大般若経
大賀宗白寄進大般若経
おおがそうはくきしんだいはんにゃきょう

県指定有形民俗文化財
 昭和32年4月23日指定

 寛文4年(1664)に、博多3商傑の一人で海外貿易に活躍した大賀宗白が、太宰府天満宮に寄進したものである。

 当時、天満宮と柳川藩立花家の親族関係にあったことから柳川藩主が譲り受け、藩営の干拓事業にあたり、潮留祈願のため観音堂を建ててこの経典を奉安したものと推定されている。

 寄進当時は600巻揃であったことは容易に想像できるが、現在資料として取り上げ得るものは180巻余である。 現在は柳川古文書にて保管している。

成合寺谷古墳   
成合寺谷古墳

 成合寺谷古墳
 (なりあいじたにこふん)

所在地 みやま市瀬高町

県指定史跡
 平成25年3月28日指定

この古墳は横穴式石室の一部に彩色文様が施された装飾古墳で、古墳時代後期の6世紀後半につくられたと推定できます。平成13年の砂防ダム建設にともなって発見されました。

古墳の石室は前室と後室があり、全長6.3メートル、高さ1〜3.8メートル。後室内には、丹(赤色)の三角文や白色の菱形文の文様が残されています。装飾古墳は県内に59基しか現存しないため稀少です。

  ※現在は装飾古墳の保存のために閉鎖し、石室内の見学はできません。