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主な市の指定文化財 社会教育課   

権現塚古墳   
画像:権現塚
権現塚古墳
ごんげんづかこふん

所在地 みやま市瀬高町坂田

市指定史跡
昭和56年2月23日指定

市内で最大級の二段築成の円墳である。
規模は径45メートル・高さ5.7メートル・周囲113.5メートルである。
年代ははっきりしていないが、大化の改新の際、規模の大きい古墳を造るなどの厚葬を禁じており、それから察するに大化の改新以前のものとされている。
伝説によると、神功皇后が田油津媛を討った際に多くの戦死者を出したので葬った塚とも、または卑弥呼の塚とも言われているが定かではない。

玉垂神社の鳥居   
画像:玉垂神社の鳥居
玉垂神社の鳥居(肥前式)
たまたれじんじゃのとりい(ひぜんしき)

所在地 みやま市瀬高町河内字堀切(玉垂神社境内)

市指定有形民俗文化財
昭和56年2月23日指定

肥前式の鳥居としては最も古い様式のものである。
高さは約2.4メートルと小型でずんぐりとしているが、福岡県下では特筆すべきものとされている。
造立年代は室町・安土桃山期(1338〜1600)の間と推定される。
この鳥居は、柱や貫などの各部分が3つの石で構成され、柱は根元がふくらみ、次第に細くなっている。
笠木は反りが緩く、ほぼ直線的な構成をとっている。

玉垂神社の大楠   
画像:玉垂神社の大楠
玉垂神社の大楠
たまたれじんじゃのおおくす

所在地 みやま市瀬高町河内字堀切(玉垂神社境内)

市指定天然記念物
昭和56年2月23日指定

樹高は46メートル・枝下は10メートル・根回り25メートル・枝張30〜35メートル・胸高周囲8メートルという巨木。
樹齢は定かではないが、平安時代後期・延久2年(1070)当神社建立以前からあったと言い伝えられている。

下小川風流   
画像:下小川風流
下小川風流
しもおがわふりゅう

所在地 みやま市瀬高町太神字小川(八幡神社)

市指定無形民俗文化財
昭和56年2月23日指定

毎年11月第2日曜(以前は旧暦11月19日)、下小川の八幡神社の神事として、下小川風流が行われている。
風流の起こりは定かではないが、江戸時代に五穀豊穣と村内安全を祈願し、大名行列を模した風流を始めたと考えられている。
当日は風流行列50人・神事30人の計80人が参加し、構成は太鼓打・鐘打・スッポ・大傘・番原・鋏箱・花(1番〜5番)・笛吹・太鼓担・鐘担。
当日午後1時に出発。座組・神社まで約4時間かけて村内を行列し、社前で太鼓の舞打ちをして練り歩く。

八坂神社の祭礼「風流」   
画像:小田祇園
画像:太鼓

八坂神社の祭礼「風流」
やさかじんじゃのさいれい「ふりゅう」

所在地 みやま市瀬高町小田字唐尾

市指定無形民俗文化財
昭和56年9月1日指定

7月第3土曜日(もとは旧暦6月11日)、唐尾の八坂神社の神事として風流が行われている。
風流の起こりは安永4年(1775)、柳川藩主より仰せ付けられて行ったのが始まりと言われている。
初期の風流は、神輿に神主・楽人が付き従い、次に小田・平田・唐尾・中島の順序で、鉦・太鼓・高張傘・鉾などの行列を仕立て、各村を巡行し神前に奉安するものだった。
だが寛政6年(1794)に平田の小供踊が無くなって以降は、唐尾のみの行事となった。
明治5年(1872)に唐尾の小供踊も止み、現在では風流だけが奉納されている。

成合谷自然石梵字板碑   
画像:成合谷自然石梵字板碑
成合谷自然石梵字板碑
なりあいだにしぜんせきぼんじいたび

所在地 みやま市瀬高町本郷字成合谷

市指定有形民俗文化財
昭和56年2月23日指定

現在廃寺となっている本吉成合寺の谷を隔てた竹林にある。
上部3分の1あたりでひび割れがある。
大きさは、高さ100センチメートル・幅73センチメートル・厚さ20センチメートル。
板碑は「天文2年」(1533)の刻銘がある。

永興寺自然石梵字板碑   
画像:永興寺自然石梵字板碑
永興寺自然石梵字板碑
えいこうじしぜんせきぼんじいたび

所在地 みやま市瀬高町大草(永興寺境内)

市指定有形民俗文化財
昭和56年2月23日指定

大草永興寺にあり、台上の高さ188センチメートル・幅87センチメートルの板碑である。
中央部に釈迦如来の梵字を刻み、その下全面に1行45字18行に及ぶ長い碑文が彫られている。
碑面の磨耗が甚だしく、全文の通読は困難となっている。
この板碑は、天文20年(1551)仲秋彼岸日の刻銘がある。

超勝寺地蔵板碑   
画像:超勝寺地蔵板碑
超勝寺地蔵板碑
ちょうしょうじじぞういたび

所在地 みやま市瀬高町大草(超勝寺境内)

市指定有形民俗文化財
平成14年4月16日指定

大草の超勝寺境内にあり、高さ100センチメートル・幅50センチメートルの安山岩製の板碑である。
表面には、永禄4年(1561)深町佐渡入道の建立銘がある地蔵像が彫られている。
裏面には、寛文7年(1667)の銘があり、僧俗30余名が住職を導師として法要を催した記念として、既存する板碑の裏面を再利用したもので、板碑の両面利用例として特色がある。

若宮神社奉納俳諧句合額   
画像:若宮神社
若宮神社奉納俳諧句合額
わかみやじんじゃほうのうはいかいくあわせがく

市指定有形民俗文化財
平成8年2月1日指定

広瀬山中にあり、天保甲辰15年(1844)に若宮神社に奉納された木製額(縦47センチメートル・横230センチメートル、墨書)である。
鳴五堂凡鳥と門人の句合せによるもので、見事な筆致の70句を連ね、作者は、瀬高町の山中・平田・唐尾・上庄・下庄の人々で、当時の俳諧事情等を窺い知ることが出来る。
現在はみやま市歴史資料館に展示。

本郷馬場の碑   
画像:本郷馬場の碑
本郷馬場の碑
ほんごうばばのひ

所在地 みやま市瀬高町本郷字中土居(八幡神社境内)

市指定有形民俗文化財
昭和56年2月23日指定

本郷中土居・八幡神社の境内にある。
柳川藩は名鶴堰付近一帯に、馬術訓練場を設けていた。
この碑はそれらを記念して宝暦9年(1759)に建てられたものである。
向かって左の碑は漢学者・安東間庵の漢文体、右の碑は国学者・富士谷成章の和文体で、両碑とも自筆である。

田尻惣助・惣馬父子の墓   
田尻惣助・惣馬父子の墓
たじりそうすけ・そうまおやこのはか

所在地 みやま市瀬高町本郷字門前(九品寺境内)

市指定民俗文化財
昭和56年2月23日指定

本郷の九品寺に、藩政時代に矢部川の治水・利水事業に大きく貢献した田尻惣助・惣馬父子の墓がある。
惣助は元禄8年(1695)普請役で、今も残る北山の千間土居(堤防)を完成させた。
惣馬は父の指導の下、30余年間水利土木事業に心血を注ぎ、磯鳥の井堰や唐尾のはね等を手掛けた。
惣馬は柳川藩第3代鑑虎公・第4代鑑任公に仕えた。
享保5年(1720)藩内御普請役に就任し、藩の干拓工事や瀬高川掘替え工事等を行う。
惣助は元禄13年(1700)9月26日死去、惣馬は宝暦10年(1760)7月16日死去。

文広笑酒板碑   
画像:文広笑酒板碑
文広笑酒板碑
あやひろえみしゅいたび

所在地 みやま市瀬高町文広

市指定有形文化財(彫刻)
平成14年4月16日指定

文広(芳司)にある、高さ243センチメートル、幅84センチメートル、厚さ23センチメートルの安山岩製の板碑。碑面上部に円相、中部に優雅な王朝装束を纏った男女の図、下部には碑文が正確なタッチで線刻されており、建立年もはっきりとしている。
碑面には「施主 板橋 助種」と刻まれている。
碑は大永五年(1525)室町後期、戦国時代のもので、当時の芳司の定期市の守護神として建てられ、周辺民衆の信仰を集めていた。
中世期の市には、西ノ宮の恵比須を勧請して祀る風習があった。
この芳司の定期市を管理したのは、広田八幡宮の神官広田氏一族、板橋氏だったようである。

勝海舟の扁額   
画像:勝海舟の扁額
画像:住吉神社
勝海舟の扁額
かつかいしゅうのへんがく

市指定有形民俗文化財
昭和56年2月23日指定

上庄八坂神社に保管されている。勝海舟揮毫の「住吉宮」の書。
明治25年頃、住吉宮を改築するにあたって、勝海舟に依頼して揮毫してもらったものである。

二尊寺自然石図像板碑と二尊寺自然石納石経板碑   
画像:二尊寺自然石図像板碑・納石経板碑
二尊寺自然石図像板碑
にそんじしぜんせきずぞういたび

所在地 みやま市瀬高町下庄(二尊寺門前)

市指定有形民俗文化財
昭和56年2月23日指定

二尊寺門前にあり、碑は図像板碑といわれ、笏の形をしている。
弥陀三尊像来迎図を線刻した逆修碑である。
この板碑には、4つの法名と長い願文、願主・河野藤左衛門尉越智道継と刻まれ、天文10年(1541)制作者は仏師・周陽とある。
高さ146.8センチメートル・幅50センチメートル・厚さ13センチメートル。

二尊寺自然石納石経板碑
にそんじしぜんせきのうせっきょういたび

市指定有形民俗文化財
昭和56年2月23日指定

この碑は天和三年(1683)、住職春龍により、二尊寺再興を祈願・伽藍の再興供養が行われたことを記念して建てられたものである。
その供養の折、大乗妙典2部と血盆経300巻の石経を納めたことが刻まれている。
高さ117センチメートル・幅80センチメートル・厚さ17センチメートル。

七支刀を持つ神像   
画像:七支刀を持つ神像
七支刀を持つ神像
しちしとうをもつしんぞう

みやま市瀬高町太神字鬼木ノ二

市指定有形民俗文化財
昭和56年2月23日指定

太神に祀られている、「こうやの宮」という祠がある。
その祠の中に5体の神像を安置しているが、そのうちの1体は異国風の服装をした、七支刀を持つ神像である。
七支刀とは、現在奈良県天理市石上神宮に国宝として保存されている鉄剣のことであり、全長75センチメートルで刀身の左右に互い違いに3本ずつの枝刀が出て、刀身の先端を加えて七支刀といわれている。

彼岸しだれ桜   
画像:しだれ桜
彼岸しだれ桜
ひがんしだれざくら

所在地 みやま市瀬高町小田字名木野

市指定天然記念物
昭和56年2月23日指定

小田(名木野)にある「白一重しだれ桜」。樹高約15メートル・幹回り約2メートルの桜で、樹齢は約300年といわれている。
しだれ桜は紅一重・紅八重・白一重の3種があり、そのいずれも寒冷地に適応する品種とされ、京都付近を中心に、せいぜい広島県の山岳地あたりが南限とされている。
比較的暖かい瀬高の地に、古木として生き残っているのは珍しいという。
この山一帯は、旧藩時代に柳川藩の家臣・吉田家の持山となり、「吉田山」と呼ばれ、しだれ桜を庭園に取り入れた別邸があったと言い伝えられていた。

三里石など   
三里石
慶長17年に田中吉政によって、柳河城下札の辻を起点として設けられた道標。

要川   
画像:要川
要川
かなめがわ

所在地 みやま市山川町甲田字待居川

市指定史跡
平成元年12月25日指定

飯江川と待居川の合流点、源平最後の合戦場と伝えられています。
現在、要川公園となっています。

物見塚   
物見塚
ものみづか

所在地 みやま市山川町重冨

市指定史跡
平成元年12月25日指定

平家方の物見跡と伝えられています。
頂上は山川地区でもっとも古い天満宮(1042年)があります。

七霊の滝   
画像:お堂
画像:七霊滝

七霊の滝
しちろうのたき

所在地 みやま市山川町甲田字松葉谷

市指定史跡
平成元年12月25日指定

「要川の合戦」に敗れた平家の女房(女官)たちは、昼なお暗く、うっそうとした深山幽谷の森にわけ入り、深い滝つぼに身を投じ果てました。
この女房たちの非業の死を哀れんで、里びと達が遺体をねんごろに葬り、滝の上にお堂を建てたのが、中原の七霊宮の縁起です。
入水した7人の女官たちは、ナマズに化身したとも伝えられ、干ばつのときには、姫の木像を滝渕で荒い清め、雨を乞えば必ず霊験ありといわれています。

松風の関   
松風の関
まつかぜのせき

所在地 みやま市山川町北関

市指定史跡
平成元年12月25日指定

「寿永二年の秋・・・平家のために菊池次郎高直に大津山の関明けて参らせよとて先立ちを通したれ共、此の事終に、はかばかしからじとて高直心変りしてけり・・・。」
この『源平盛衰記』にある“大津山の関”とは、山川町の北関にある“松風の関”のこと。
中世以前は、肥後領の白間荘・大津山にあったので、“大津山の関”と呼ばれていました。
古代より山川の地は、九州の南と北を結ぶ交通の要衝にあり、江戸時代には、この関は幕府直轄におかれていました。
関は肥後と筑後の国境のみならず、肥後街道もここを通っており、参勤交代の行列もこの街道から江戸に上がったといいます。
天正15(1587年)には、九州征伐のために軍を進めた豊臣秀吉がこの道を通り、原町と清水に“太閣道”という名を残しています。
また、明治10年(1877年)の西南戦争の際には、官軍総督の有栖川宮熾仁親王が、福岡の本営から南下して、この道を通られました。
画像:松風の関

真弓広有公供養塔   
画像:真弓広有公供養塔
真弓広有公の供養塔
まゆみひろありこうのくようとう

所在地 みやま市山川町真弓

市指定史跡
平成元年12月25日指定

南朝の忠臣真弓広有公の供養塔です。
醍醐天皇の御代(およそ660余年前)のある年、都には疫病が流行り、人びとはバタバタと病に倒れていった。
折もおり、紫宸殿には不思議な怪鳥が現れて「いつまで、いつまで」と不気味な声で鳴いた。この怪鳥ヌエを、勅命を奉じ退治したのが隠岐次郎左衛門広有で、この功績によって、「五位」の位と「真弓」という姓を賜った。
その後、懐良親王の西下のお伴で九州に下り、親王のお隠れ後は、真弓の地で一生を終えた。

十三塚   
十三塚
じゅうさんづか

所在地 みやま市山川町尾野

市指定史跡
平成11年3月25日指定

牡丹長者の埋蔵金を埋めたという伝説や田尻氏の戦死者を埋葬したという説や田尻氏と三池氏との境界とする説があります。

古墳   
裏山古墳
市指定史跡
平成11年3月25日指定
竪穴系横口式石室の古墳です。

クワンス塚古墳
市指定史跡
平成元年12月25日指定
前方後円墳です。
当地を治めていた権力者が眠っていると考えられています。

九折大塚古墳
山川地区屈指の前方後円墳。
衣蓋埴輪片が出土しています。
画像:九折大塚古墳

面の上古墳
6世紀後半の円墳。
耳輪、鉄鏃、須恵器などが出土しています。
画像:勾玉、古代の装身具
画像:銅鏡
画像:面の上古墳

お牧山   
画像:お牧山
お牧山
おまきやま

所在地 みやま市山川町甲田

市指定史跡
平成元年12月25日指定

柳河藩営の牧場が開かれたみやま市では最高峰の山です。
幕末には烽火台が置かれました。
名実ともに山川地区のシンボルです。
また、キャンプ場もあります。

江浦八幡神社粥占い   
粥占の様子
江浦八幡神社粥占い(粥占御試祭)
えのうらはちまんじんじゃかゆうらない(かゆうらないおんためしさい)

所在地 みやま市高田町江浦(江浦八幡神社)

市指定無形民俗文化財
平成9年2月24日指定

元旦に神前に奉納された米を1月15日に粥として炊き、方位を印した銅鍋に入れ、神殿内に1か月間安置する。
2月15日には、粥に発生した「カビ」の色や形状でその年の気象や農作物の作柄を予測する。

竹飯稚児風流   
画像:和服姿のこどもたち
竹飯稚児風流
たけいちごふりゅう

所在地 みやま市高田町竹飯(竹飯八幡宮)

市指定無形民俗文化財
平成10年2月23日指定

風流は庶民的な行事で、信仰が伴い、五穀豊穣、悪疫退散、稲虫退除の祈願が含まれる。
竹飯の風流は、子どものみで行うところに特色がある。
頭にはシャグマをかぶり、男女両用の和服姿に赤青のタスキをかけ、脚絆、手甲、わらじかけで輪になって太鼓をたたいて舞う。

今福ため池おにばす(鬼蓮生育地)   
画像:鬼蓮
今福ため池おにばす(鬼蓮生育地)
いまふくためいけおにばす(おにばすせいいくち)

所在地 みやま市高田町今福(今福溜池)

市指定天然記念物
平成5年3月31日指定

鬼蓮は、スイレン科の1年生浮葉水草で、葉の大きいものは1メートル以上にもなる。
生育時期は6月から11月初旬までで、8月下旬から9月下旬にかけて薄紫色の花を咲 かせる。
鬼蓮が蓮と異なるところは、葉の表面と裏面に鋭いトゲを持ち、葉の表はシワが多く、裏は紫色である。1年草のため、蓮のように地下茎はない。花は蓮より小さく、がく片4枚、花びらは多数で昼間だけ開いて夜は閉じる。
フキに似て水草のところから「ミズフキ」の別名もある。

田尻十五人墓   
画像:田尻十五人墓
田尻十五人墓
たじりじゅうごにんばか

所在地 みやま市高田町田尻

市指定有形民俗文化財
平成12年7月28日指定

田尻字山本にあり、自然石に南無阿弥陀仏の名号と、元禄3年(1689)12月6日の紀名及び交名は現在では判読困難であるが、明治20年(1887)に建てられた隣接の顕彰碑により名前を判断することができる。
おそらく、阿弥陀如来信仰に結衆した人たちが、共同で建立した信仰の記念碑であろうと推察される。これは民俗資料的に貴重なものである。
地元では昔から「十五人墓」と称し、村吏某の貪虐を藩庁に訴えようとした田尻の農民達が、村吏の陰謀により処刑された供養塔であると伝えられている。

海津御田植祭   
画像:海津御田植祭
海津御田植祭
かいづおんたうえさい

所在地 みやま市高田町海津(海津阿蘇神社)

市指定無形民俗文化財
平成10年2月23日指定

朝鮮の役に出兵した柳川藩家老小野和泉守は、阿蘇神社(古川の早鷹)にお礼言上参拝した。
その後、元和8年(1622年)海津北阿蘇田の現在地に社殿並びに神田を献納し、感謝の辞を捧げた。
この祭は豊作祈願のため興ったものと思われる。
この神事は神田の田植えを奉仕するに当って、初春から心構えに始まり、耕地、種まき、苗作り、早乙女の田植えと秋に五穀豊穣を祈り奉納される。

上楠田天満宮の大藤   
画像:上楠田天満宮の大藤
上楠田天満宮の大藤
かみくすだてんまんぐうのおおふじ

所在地 みやま市高田町上楠田(上楠田天満宮境内)

市指定天然記念物
平成7年1月10日指定

石神山古墳近くにある天満宮の境内にあるオオフジ。
樹齢約数百年以上と推定されるオオフジは毎年4月の中旬から5月の上旬になると甘い香りを漂わせ、見事な花を咲かせて訪れる人を楽しませている。

建仁寺仏像群附涅槃図一幅   
阿弥陀如来坐像

建仁寺仏像群(八躯)附建仁寺涅槃図(一幅)
けんにんじぶつぞうぐんつけたりけんにんじねはんずいっぷく

所在地 みやま市瀬高町廣瀬

市指定有形文化財(歴史資料)
平成25年2月21日指定

禅院建仁寺にある涅槃図および仏像8躯は、建仁寺が室町時代から続いた歴史を裏付けるものです。

権現山日子神社御田植祭行事附粥占い   
日子神社御田植祭

権現山日子神社御田植祭行事附粥占い
ごんげんやまひこじんじゃおんたうえまつりつけたりかゆうらない

所在地 みやま市瀬高町長田

市指定無形民俗文化財
平成25年2月21日指定

権現さんの御田植えは江戸時代、米の増産を目的に長田の権現さんに田植え前に、田の神を祀ったのが始まりといわれており、五穀豊穣、無病息災を願い現在まで伝えられています。
下長田の御田植えは、境内の一角に四方に青竹を立て、その間に注連縄(しめなわ)をめぐらし御神田に見立てて奉納します。
長(おさ)と早乙女(さおとめ)によって演じられ、「御田植え唄」でのユーモラスな掛け合いがあります。
早乙女達がまいた早苗(松の葉)を、自作の田んぼの四隅に置くと豊作になるといわれ、多くの参拝者が持ち帰えられます。

此君泉跡   
此君泉

此君泉跡
しくんせんあと

所在地 みやま市高田町竹飯

市指定文化財
平成25年12月13日指定

この此君泉は、江戸時代、藩の儒学者や国学者の詩文に、その泉の情景が描写されてある由緒ある場所です。
また、どんな干ばつでも決して枯れることがない豊富な水量を誇りながらも、その水は清らかで、書道の硯の水などに使用されるほどきれいな湧水であるとして地元の人たちに大切にされてきました。明治以降も地区の洗い場として地域住民に親しまれていました。
現在は以前ほどの水量は排出しないものの、当時のおもかげを漂わせる歴史ある場所です。