みやま市の概要
更新日:2021年1月10日
みやま市の歴史・規模
人口(単位:人)
みやま市 | 旧瀬高町 | 旧山川町 | 旧高田町 |
---|---|---|---|
38,139 | 20,924 | 4,536 | 12,679 |
世帯数(単位:世帯)
みやま市 | 旧瀬高町 | 旧山川町 | 旧高田町 |
---|---|---|---|
12,941 | 7,076 | 1,503 | 4,362 |
(平成27年 国勢調査)
みやま市の歴史
現在の福岡県は、江戸時代には豊前国(一部)と筑前国および筑後国の3国からなっていました。
そのうち、当地域は筑後川流域部を中心とする筑後国10郡の中の2郡(山門郡と三池郡)からなっていました。
3町のうち、瀬高町、山川町の2町は山門郡、高田町は三池郡となっており、歴史的に行政区域を同じくしていた地域であると言えます。
筑後国は筑後一円32万石を領した田中家の改易後、2つの藩(有馬藩と立花藩)に分割され、3町はいずれも立花藩が治めるものとなっていました。
その後、明治4年の廃藩置県により、この圏域は三瀦県となりました。明治9年に、三瀦県は佐賀県の肥前国9郡を併合しますが、まもなく、この9郡が長崎県へ割属され、当地域は、旧筑前国と豊前国からなる福岡県の1郡となりました。
明治21年の市制・町村制公布に伴い、福岡県の町村数は明治21年末から22年末にかけて、1,958町村から386市町村と5分の1に減少し、当地域においても32町村が誕生しました。
その後、明治40年に、現在の高田町を除く2町で、一斉に合併がなされ、32町村は19町村まで減少しました。現在の山川町は境界変更はあったものの、この明治40年以来、合併を行わず今に至っています。
大正から昭和20年にかけては、高田町で一気に合併が進みました。昭和6年に3村の合併、その後、昭和17年に2村が編入され、今に至っています。
瀬高町でも明治40年以降、合併はありませんでしたが、昭和31年に旧瀬高町が東山村を編入しています。
そして、平成19年1月29日に瀬高町・山川町・高田町が合併し、みやま市が誕生しました。
市章・シンボルマーク 市の花・木
市章
Miyamaの英字イニシャル「M」をモチーフに、「人、水、緑が光り輝き夢ふくらむまち」にふさわしく、花開くまちを表わしています。
シンボルマーク
Miyamaの英字イニシャル「M」をモチーフに、中央の双葉は市のあらゆる
情報交流発信地の役割を果たし、市民に親しまれ、愛され、信頼・安心した暮らし、
豊かな自然や地域特性を活かしながら生き生き発展・繁栄する
「みやま市」のイメージをアピールしています。
市の花「さくら」 市の木「楠(くす)」
みやま市誕生3周年を記念し、市の花、市の木を決定しました。
公募による市民の方からのご意見やご要望を参考に、みやま市を象徴し、市への愛着を深めていただくシンボルにふさわしいものとして、市の花を「さくら」、市の木を「楠(くす)」としました。(平成22年1月13日制定)